※あくまで個人的

京大医学部の偏った日常

定期考査の思い出

今回は特に有益なことは書いてないです。


大学入ってからと言うものの、試験結果が合か不しか出なくなり、すっかり試験の点数自体を気にしなくなっていて、ふと高校の頃の定期考査について思い出し、すっかり良い点数を取ることを求めなくなってしまったことに驚いてしまった。


もちろん大学にも試験の点数はあり、それによって内申点的なGPAというスコアが出ており、就職や特に留学する場合に学力の参考にされることがあるが、医学部だとケンブリッジやオックスフォードとか名だたる大学に留学しない限り関係ない話である。


京大医学部に入っているから当然高校の成績は良かったと思われるかもしれないが、あんまりそうではなく(席次150番とか)、むしろそれを京医でのアイデンティティとしているまである。


それで、高校までの試験で一番考えていたのは、「どういう気持ちで答案を貰うと点数が良くなるか」というなかなか非科学的なことであった。


なんとも意味が分からないことだと思われるが、どうもテストの出来が自信満々なときはそこまで点数が良くないことが多く、なかなかメンタルに響いていたのだ。むしろ、成績が良いやつに限って、テストの出来を聞いてもうんともすんとも言わないようなNPCみたいな反応しか示さないのが昔から不思議に感じていて、実は「テストの出来について何も言わない方が点数が高くなるのでは」などという非現実的な仮説をかなり信じていた時期もある。


今思い返せばそれだけテストの点数に固執して、振り回されていたのだと片付けれるが、答案が返ってくるまでわからないという「シュレディンガーの猫」のような魅力があったのだと思う。


ちなみに長年の「研究」により、自分1人で・教室で・丁寧に自己採点をするということが現在のところ一番「安定して」、自分の思っている点数に近づけるための「方法」であることが示されている。